オープンソースとOSD

Posted by yoosee on Debian at 2004-02-27 23:42 JST

*1  オープンソースの光と影

まつもとさんの「オープンソースの光と影」と言うスライドの一部「オープンソースは客観的」への 塩崎さんの反応 に端を発して、オープンソースと言う言葉に対する論争がまた持ち上がった。反応リンク集も伸びているようだ。

*2  「オープンソース」であれば「OSD準拠である」

上記の命題は、例えば ukai さんの OpenSource と言う言葉の出現時期への考察 や、tach 氏のオープンソースの条件を満たすことの意義 等を見ても、これは真である、ないし真であるほうが多くの人にとって都合が良いと思う。これは純粋に用語定義上の問題なので、ライセンスを含む会話をするときには少なくとも『「オープンソース」とは「OSD準拠」のソフトウェアである』と定義したほうが利用者も便利だろう。特にビジネス等の利用権利解釈がシビアな場では、「定義されている」事の意味は大きい。とは言えこの場合、素直に「OSD準拠のソフト」と言った方が適切な気もする。

何故ならば過去の議論で何度も出ているように、「Open Source」という単語があまりに一般名詞の組合わせであるため、「Source が Open であること」から連想される様々な事象を内包してしまい、意味の拡大が行われているのは事実と思われるからだ。この部分は「OpenSource」と言う単語選択の失敗だとは思うが、「意味の乗っ取り」と言う批判は言葉の出現経緯を見ても、むしろ逆で、OSD によって新しく作られた「OpenSource」と言う言葉に、それまでにあった似た概念の他の意味が後から乗っていったのだと思う。新語がそれまでにあった異る幾つかの概念を意図せずして統合してしまうのは、自然言語の世界では珍しい事ではない。

*3  「OSD準拠である」ものは(全て自動的に)「オープンソース」である

先の命題を仮に真として、その命題の逆は真なのだろうか。と言う疑問を持ったため、まつもとさんへのコメント や、八田さんへの質問コメント で聞かせて貰った。

コメントにも書いた通り、逆は自動的には真にならないはずだ。「オープンソース」など意識していないソフトウェア作者が OSD をたまたま満たすライセンスでソフトを書いた場合、自動的に「オープンソース」と見なされてしまうのか というのが私の疑問だった。

現在の私の理解では、「オープンソース」が単純に「定義されたものの呼称」である限りはこの「逆が真」でも問題がないはずだった。しかし「単純に定義分類としてのオープンソース」には「OSDに準拠している」以上の意味は無くても、「活動としてのオープンソース」は多分に思想的側面を持ってしまった。この両者の差異が今回の議論の発端であり、恐らく元々まつもとさんが主張しているのは前者であり、塩崎さんが嫌悪感を持ったのは後者に組み入れられることなのだろう。

*4  「オープンソース」を理解する

八田さんが私の疑問に答える形で (と言ってしまうと非常におこがましいが、切っ掛けくらいになったのだとしたら光栄だ) 、「オープンソースは唯一の正解か」「「オープンソース」と呼ばないで」と言う 2 本の記事を j.l.c に書いてくださったようだ。これらは、少なくとも私にとっては「オープンソース」への理解を深めてくれる良いドキュメントだと思う。要は「オープンソースと言う言葉をきちんと定義して使おう」と言う主張であり、実はまつもとさんのスライドもそう言う事を言っているのだと思う。

*5  オープンソースとビジネス

先にも書いたが、例えばビジネスのユーザにとって、本当に大事なのは「オープンソース」ではなく「OSD準拠であること」だ。何故ならばビジネスで必要なのは「利用条件」であり、ソースがオープンであることは検討材料の一つでしかないからだ。つまり「オープンソース」と言う言葉自体は、実はこうした用途にはあまり関係がないはずである。

とは言え、「オープンソース活動」をする際には「OSD準拠の〜」と言うよりは「オープンソースの〜」と言った方が通りが良いし、認知度も高い。また利用者にとっても、「オープンソースならばOSD準拠」であれば、単純に「オープンソース」を採用することで 「OSD が利用者に与える権利」を享受することが出来る。つまりは単純に利便性の問題であると言えると思う。

*6  オープンソースと開発者

とは言え、塩崎さんのような「OSD準拠のソフトウェア開発者」側に、「オープンソース」と言うものが

我々はオープンソース賛同者だ。
お前たちのソースコード、ライセンス、主義主張を同化する。
抵抗は無意味だ。

って言う風に見られたら損だよね、とは思う。もしそう思われてしまうのならば「オープンソース」の戦略ミスだろう。

*7  結論

総論すると今回の問題は、元々が単純機械的な分類のための定義である「OSD によるオープンソース」と、思想であるところの「オープンソース活動」とが混同してしまっていることだろう。極めて個人的には「オープンソース」と言う一般名詞の組み合わせを選んでしまった時点で、この混乱が完全に無くならないのではないかと思う。しかしそれ故に、「オープンソース」の正しい意味を啓蒙していく事は確かに大切なことだろう。元の私の疑問やこの駄文も、もし多少なりともお役に立つのならば嬉しい限りだ。

*8  追記

ふと思い出したのだけど、まつもとさんが元々ああしたプレゼンをしたり最近オープンソースの話題を多く出すのは、日本だとオープンソースで食えている人が非常に少ないから、ビジネスレイヤの人間にオープンソースを広め、「自分のコードを書いて給料が貰える仕事」につけるオープンソース技術者を増やしたいと言う思いがあるんだよね。そこを踏まえてあのプレゼンを読めば、誰をターゲットとしているか、何を言いたいかも多少違って見えるんじゃなかろうか、と思った。
今一緒に仕事をしているアメリカや欧州の人だと、相当偉くて高い給料で凄いコードを書いている人が山ほどいるし、オープンソースなソフトの作者って会社での地位も高い場合が多いのに、日本企業だとそうした人はあまり見当たらない気がする。表に出てきにくいだけかも知れないけど。

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