*1  プログラミング言語の機能を批判するのは言語のユーザを批判するのとは違うが、そうは受け取れない人がいても不自然ではない理由に付いての思いつき

昨日のことだが、某所で「Ruby信者ウザい」と言うサイトが話題になり、「わはは、こんな信者が実在するなら会ってみたいわ」と思って続きを読んだら例として引用されているのがこのBlogで吹いた。俺かよ。そもそもPerlやPBPを批判したつもりすらない上に私もPerlのユーザだし、Rubyは個人的に使いやすい場合が多いと言うだけで他人に無理に勧めたことも無いのだが…。

それはまぁ読み手の受け取り方だから私がどう言ってもしょうがない事だ、と言いつつ修行が足りないのでつい突っ込んでしまったが、どうしても分からないのは、いや状況や気持ちとしては想像がつくんだけど納得が出来ないのは、言語という「道具」を比較・批判すると、なぜすぐに言語「ユーザ」の批判として受け止められてしまうのか。言語はあなたじゃないんだし、「道具」に欠陥があろうが用を足せば問題ないんだし、そもそも同一人物が同時にPerlユーザかつRubyユーザであっても何の不思議は無いはず。

で、以下はいつも比喩は避けるべきと言いつつ比喩を書くので与太として読んで欲しいのだが、思いついたのは自家用車との比較。言語が車だとしてユーザがオーナーだとすると、「お前のオフ車じゃ高速をすっ飛ばせない。スポーツカーのほうが優れてるじゃん」と批判されたら確かにムッとするだろうし、「馬鹿か、お前の車じゃ山道走れないだろうが」と言いたくなるだろう。そう言う時に「オフ車もスポーツカーも両方乗って道で使い分ければいいじゃん」と言うのは正論だけど、そもそも車を複数所有すると言うのは誰にでもできることでは無いというのは事実だ。

話を言語に戻すと、「複数言語を学ぶ」のは個人的にはそうすべきだと思うし、別の言語を学ぶことで今まで使っていた言語をより理解することだって多いが、例えばPerlとRubyを両方学ぶのは、個人の限られたリソース、例えば勉強時間からしても、実は誰にでも出来るわけではない。だから苦労して手に入れた自分が乗っている車、いや「言語」を非難されたら、どうしてもそれを守る方向に思考が働いてしまうと言うのは自然な反応なのかもしれない。

逆に考えればプログラミング言語は、そうして己のアイデンティティの一部を委ねるほどに重要なものだと言うことでもある。それはプログラミングが「表現方法の一つ」である以上、実は自明なことなのかなとも思う。

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