目的のための会話と会話のための会話
Posted by yoosee on Clip at 2006-09-17 23:42 JST1 お姉さんの「男の恋愛相談室」: 質問と詮索の違い - livedoor Blog(ブログ)
このお姉さんのコラムにありがちなこととして、内容はその通りなんだけど考察の文言が微妙で反感を買いやすいんじゃなかろうか。質問と詮索とか男尊女卑とか、そう言う問題ではなかろう。質問は、相手を気持ちよく喋らせてあげるための言わば、ナイスパス。アシストだ。でも、詮索は無遠慮で品の無い、相手に対する思いやりのない質問攻めだ。以前にも書いた通り、これは男性と女性では会話に求めるものがそもそも違うことがあるというのが根本じゃなかろうか。この質問の場合も、男性が何か情報を得ようという目的を持って会話をするのに対して、女性は会話を楽しむ事自体が目的なので、そこの食い違いが不快感や会話の断絶を生むのでは無いかなと思う。
困ったことに、この区別ができない人が世の中には意外と多くて困る。お姉さんの「男の恋愛相談室」 :質問と詮索の違い - livedoor Blog(ブログ)
で、会話を楽しむなんていうのは男性どうしでも普通にやることなのだから、気になる女性相手だからといって慌ててあれこれしようとせずに、基本として会話を楽しむことを意識するといいんでは無いかと思う。それと女性は(人によれども)話したがりが多いため、ちゃんと話を聞いてあげられる男性はポイントがあがりやすいので、その辺りも意識すると吉かもしれない。
ルールに対する日本と欧米的考え方の差異
Posted by yoosee on Clip at 2006-08-19 23:42 JST1 Hoge's Diary - ルールを守るのが日本的
後半の主題には賛成なのだけど、以下の引用に関しては、現実にはちょっと違うと思う。ルールがあるとき,それを100%受け入れその枠内で努力するのが日本的思考. そのルールを都合の良いように変更しようとするのが欧米的思考.Hoge's Diary実際には「既存のルールを解釈によって現状に当てはめるのが日本的思考、ルール自体を変更するがルールの厳密性を守るのが欧米的思考」ではないかと思う。
欧米ではルールというのは契約であり、厳密に守るべきものだ。しかし一方で契約は「必要に応じて作り、必要に応じて変えるもの」であるから、必要ならば当然変更する。
一方の日本では、ルールというのは「上から降ってくるもの」であるという意識があるため、そのルールから大きくはみ出さない(と言う世間的認識がある)範囲において、ルールを変えずに現実を合わせる。そんな意識の違いがあるのではなかろうか。また、こうした考え方は日本では政治経済から社会生活に至るまでかなり浸透しているように思える。
1 大人になる方法
- 良し悪しでは無いあるがままの自分を認める。「本当の自分」とやらを外に求めない
- 想像力を持つ。そのために経験する。一方で自分の想像力の限界を忘れない
- 争いは必要な議題についてのみ行い、互いの人格について争わない
読書は別段高尚な事ではなく、単なる娯楽である
Posted by yoosee on Clip at 2006-06-17 23:42 JST1 本嫌いの人が持っている間違った認識 - hisashim
彼は、「本嫌いの人が持っている間違った認識」として次のことを教えてくれた。シリコンバレー地方版: 本嫌いにさせる日本の国語、文学教育詳しい内容に関しては元記事を読んで欲しいが、こうした多くの「本嫌い」に共通しているのは、読書なにか高尚な自己研鑽の手段のように思っているという点ではなかろうか。
個人的には、読書というのは単なる娯楽のひとつに過ぎないと思う。読書の動機は単純に「読む楽しさ」であって、それ以上でもそれ以下でもない。SF だろうが古典名作だろうがファンタジーだろうが哲学書だろうが、読んで面白いから読める。悪く言えば単なる時間潰しであって、映画やテレビとたいしてかわりはない。
そうした娯楽として見た場合、本の優れた面として、本は本さえあれば通勤電車だろうがトイレだろうがお風呂の中だろうがベッドだろうが好きなときに好きなところで、しかも好きなところから好きな分だけ読める。つまりは本こそは、好きなものを好きなときに気軽に楽しむのに適した媒体なのである。
2 読書は能力を高めるか
とは言え、読書が勉強に役に立つというのも事実だと言う実感もある。但し授業でやるように一つの話を細かく分解して行くようなやり方だけでは足りない。理論と並行して、浴びるように経験することは有効だと思う。6歳からの9年間あれば500冊は読めるはず。大量に読めば文章の型が分かり、つまらない設問は苦もなく解けるようになる(はず)。本嫌いの人が持っている間違った認識 - hisashim実際、子供から高校くらいまで馬鹿見たく本を読んだお陰で、現代文では漢字の暗記以外にあまり困ったことがなかった。加えて言えば古文・漢文や英語でも「一部の単語が分からなくても全体の文章から意味を読み取る」のが楽にできるので読解系の勉強では重宝したものだ。また量をこなすと自然に読むのが早くなるので、自然と読書量も増えるという傾向があるだろう。
ちなみにこうした「大量のケースをこなしてパターンを見つける」と言う訓練は、語学のみならず、と言うよりも、むしろ理系学問に非常に役に立つものだ。高校までの数学や物理なんてほぼこれが出来ればなんとかなるし。そう言った意味でも読書は全般的な基礎学力の向上に役に立つとは言える。ただ前述のように量をこなすにはやはり好きでないとやってられないので、勉強のために本を読むのは恐らくあまり役に立たないのではなかろうか。
女性の書く「男性のための恋愛指南」の重要性
Posted by yoosee on Misc at 2006-02-07 23:42 JST1 誉めない風土 - お姉さんの「男の恋愛相談室」
「(モテたかったら)女性をもっと褒めよう」と言う、基本的で至極真っ当な手法を紹介している。そもそも「褒める」という行為は、まず「相手をよく見る」と言う事とセットであり、女性に限らず人を口説くときには非常に重要な行為だろう(褒め方に関してはほめ道を往くが面白い)。しかしこんな基本的なアドバイスに、何故か批判的なコメントが多くつく。特に、批判的意見を見ると「お前は褒められるだけの価値があるのか」等という主旨が多いのが気になる(まぁこの記事に関しては紳士や父性という単語が宜しくない気はする)。とかくこの手の「女性はこう言う男性を求めている」「女性には○○してあげよう」「男性はこうするとよい(もてる)」と言った内容の「女性が書く男性向け恋愛指南」には批判が付くもので、それも大抵が「女性側はそれを男性に求められるほど価値があるのか」「男性にのみ要求していて女性自身はどうなのだ」と言う話になる。
当然だが、これは全くの見当違いだろう。あくまでこうした文章は「女性に好印象を持って貰うには男性はどう振る舞うべきか」と言う視点で読むべきものなのであり、むしろ「女性はこういう所に気を使ってあげると喜ぶんだ」と言う知識を仕入れるべきなのである。つまりは「女性はこう言う事を求めて我儘を言う」と言う傾向が分かっていれば、ある程度の対策がたてられる、と言うだけのことであり、本音の我儘や女性が喜ぶツボが聞ける場というのは貴重なものだ。そもそも、Blog の筆者が読者に「お前はこうしろ」と要求しているわけではないのだから、そこに反論してどうなるというのか。
同様の恋愛指南系Blogに「理系のための恋愛論」があるが、こちらも女性側から男性に求める条件が赤裸々に書かれており、素で読んだらやはり多少腹が立つ部分があると思う。しかし、これが女性の我儘を言いたい部分なのだ、と思って読めば非常にためになる。例えば「女性にお腹を空かせるな。甘いものを用意しろ」「眠そうだったら素直に寝かせてあげろ」「自分のことを語るより相手のことを聞け」「特定女性だけではなく、全ての女性に公平に親切に接しろ」「重い荷物は持ってあげろ」などの話は、女性から好感度を得る上では非常に実践的で役に立つアドバイスになっている。
「なんだこいつ、女性の我儘ばかり聞けとか主張しやがって」と思うのも分からないではないが、「あー、これとこれくらいなら許容してモテ度をあげられるな」程度に読んだ方が建設的であろう。どのみち万能な方法論ではないし、「そんなのしらねーよ」と言う道を選択するならばそれはそれで構わないのだから。
レストランを予約するこれだけのメリット
Posted by yoosee on Eat at 2006-01-09 23:42 JST1 レストランの予約 - お姉さんの「男の恋愛相談室」
個人的にはモテたい男必読だと思っているお姉さんの「男の恋愛相談室」にこんな記事が載っていた。結論としては当然「予約すべし」なわけで、過去に知人の女性と話したときにはレストランの予約してないだなんて、私を軽く見てるとしか思えない!とまで宣った女性も過去にはいたくらいで(私が罵倒された訳じゃなく一般論として話をしているときだったのは僥倖)、どちらが好印象を獲得できるかと言えば当然予約している方がいいに決まっている。特に猛暑と厳寒の季節はさもありなん。
2 レストランで予約することの意義
とは言え私も以前はあまり店の予約はしたくない派だった。何と言っても電話するのが億劫で仕方がない上に、「予め用意していた」と言うのが恥ずかしいみたいな意識があったのかもしれない。そんな考えを変えてくれたのはサカキシンイチロウ氏の「おいしい店とのつきあい方」と言う本だった。これはほぼ日の同名の連載第一シーズンをまとめたものだが、「レストランを楽しむという事は予約の前から始まっている」と言う事をこれでもかと言うくらいに教えてくれる良本である(なんせ連載自体、入店にいたるまで13話もあるのだ)。
なにより衝撃的だったのは、予約とういう物の機能と言うか概念がそもそも違っていたことだ。
本来、予約という手順は、決して、「自分の座る椅子、テーブルを確保するため」にするものでは、ありません。このことを、まず覚えておいてください。後になってから自分でも気が付いたが、例えば「ある店の常連になりたい」などと思っていたら、まず大事なのは相手に名前を覚えて貰うことだろう(店側にしても、ある客の嗜好などは名前に紐付けて覚えるに決まっている)。そして相手に「自分の名前を伝える」一番よい機会は「予約」なのである。
ならば、なんのためにすると思いますか?それは、「これから行くお店の情報収集」と、お店に対する「自分というお客様の情報提供」のためなんだ、というコト。
レストランの予約を取る事は、店の前で待ったり店探しに彷徨く羽目にならずに済んだり、一緒に行く人にちょっと好印象を持たれたりと言った実益に加え、店に自分を知って貰う最も優れた方法だと言うことに気付かされて以来、最近はレストランの予約も「自分自身のために」と思って楽しんで出来るようになってきた気がする。